<韓国語を学ぼうとした動機>
私は東京大田区羽田で生まれ育った73歳の在日韓国人2世です。日本の教育を受け日本の会社に勤め、友人たちも日本人です。そんな私が還暦を迎える年に、生まれて初めて両親の故郷韓国へ先祖の墓参りに行くことになりました。韓国に住む私のルーツである親族と初めて交わした言葉は「안녕하십니까?(アンニョンハシムニカ)」でした。それ以外の言葉は出ませんでした。その時ともて寂しく恥ずかしい思いで一杯になり「韓国語を習うぞ!」と決心しました。そして簡単な日常会話や、読み書きを目指し、韓国語の勉強を始めました。年をとってからの習い事は大変ですが、常に声に出し、復唱し、読み書きを復習しています。週に一度の勉強会を毎週楽しみにしています。
(金長進)
<韓国語を学ぼうとした動機>
私は日本で生まれ育った在日韓国人です。しかし日本生まれの私は普段韓国語を殆ど使うことはありません。私だけではなく在日韓国人は日本語を主に話し韓国語をあまり使いません。使わないと言うより使えないと言った方がよいと思います。
いつの頃からか私は、韓国人でありながら韓国語を自由に話せない事に素朴な疑問を持つようになりました。その疑問は韓国語を話せるようになりたいという欲求に変化して行き、韓国語を習うようになりました。韓国語は日本語と似ていますが私にとっては簡単ではありませんでした。しかし諦めず継続して習う事によって少しずつですが、理解できるようになりました。まだまだ韓国語を使いこなす為には時間がかかりますが、諦めることなく勉強を続けて行こうと思っています。
新たに韓国語を習おうと思っている方にアドバイスをするとすれば外国語を習う事は楽しいが壁に当たる事があります。その時に我慢して勉強し乗り越えれば堅実に一歩前進した事になります。
そうすれば楽しくなります。それを繰り返すことで実力が上がってきますので頑張って勉強して下さい。
(崔昌永)
<韓国語を学ぼうとした動機>
私は仕事を中心にした会社員時代をすごしていましたが、心の中のどこかで何か勉強したいと言う願望がありました。しかし中々きっかけを見つける事が来ませんでした。所が会社の報賞旅行で韓国へ行くことになり、その旅行の間私の友人が韓国の人々と楽しそうに韓国語で会話をしている姿に驚き、私は日本語の為どこでも感情のない会話に終始しました。やはり「郷に入れば郷に従え」との言葉通りと痛感しました。その国の文化、習慣、人情を知るには言葉が重要と思いました。友人が韓国語で話し、答える韓国の人達の笑顔がとてもステキでした。私も早速勉強をしようと思い民団大田支部の韓国語講座に通う様になりました。習い始めは何もわからず大変苦労しましたが、先生が子供用の本を使いながら教えて下さったり、映画鑑賞、居酒屋訪問等で生の韓国語に触れ合う機会を作ってくれたりして増々韓国語への関心度が高くなりました。何度も壁にあたりましたがその都度克服できたのは先生のおかげと思っております。そして受験する事など考えてもなかった韓国語能力試験を受けて数度の失敗を経験しましたが何とか2級に合格することが出来、久しぶりの達成感を味わう事ができました。まだまだ、単語の数、文法などわからない事が多々ありますが、一歩一歩進んで行こうと思います。生涯勉強と考え頑張ります。
(石川孝男)
<韓国語を学ぼうとした動機>
私が韓国に興味を持ったきっかけは小学生の時に見た韓国ドラマ「チャングムの誓い」でした。劇中の韓服がとても可愛くてそれをきっかけに韓国が好きになりました。韓国語を始めたのは高校2年生の時で学校が国際科だったので韓国人もたくさんいました。その子達が話す韓国語がとても可愛くて自分も話せるようになりたいと思い教室に通い始めました。
今はアルバイトで韓国語を使ったり、韓国に留学する為に勉強しています。
将来的には韓国を含めた近隣諸国との外交や貿易に携わる仕事に就いて韓国語も活かして行きたいと思っています。
(加藤はづき)
<韓国語を学ぼうとした動機>
韓国語を勉強し始めたきっかけは、KPOPです。小6のクリスマスにKARAのCDをもらってKARAにハマり、韓国語の歌も聞くようになりました。歌詞の意味が分からず毎回ネットで調べていましたが、それが面倒で、韓国語が出来ればいいか!と、中1からテレビの番組や自分で買ったテキストで独学し、高1から習い始めました。イベントでアイドルと韓国語で話せたり、韓国旅行で韓国語が分かったりして、とても楽しいです。今は簡単な会話ができる程度ですが、もっと勉強して、韓国語を使って仕事ができるくらいになりたいです。
(村田伽倻)